パンセ

  • パンセはパスカルの未完成原稿をまとめたもの
  • 版により色々・・・
  • フランス語版(の一つ)

https://www.ub.uni-freiburg.de/fileadmin/ub/referate/04/pascal/pensees.pdf

www.gutenberg.org

  • データベース的な版(フランス語)

www.penseesdepascal.fr

人間は考える葦である

  • その原文解説サイト

lecture1.kitakama-france.com

Le respect est : Incommodez-vous

80-317 Le respect est : Incommodez-vous.
Cela est vain en apparence mais très juste, car c'est dire : je m'incommoderais bien si vous en aviez besoin,
puisque je le fais bien sans que cela vous serve, outre que le respect est pour distinguer les grands. Or si le
respect était d'être en fauteuil on respecterait tout le monde et ainsi on ne distinguerait pas. Mais étant
incommodé on distingue fort bien. 
Deference means, "Put yourself to inconvenience." This is apparently silly, but is quite right. For it is to say, "I would indeed put myself to inconvenience if you required it, since indeed I do so when it is of no service to you." Deference further serves to distinguish the great. Now if deference was displayed by sitting in an arm-chair, we should show deference to everybody, and so no distinction would be made; but, being put to inconvenience, we distinguish very well.
尊敬とは「不快に耐えよ」ということだ。
これは空しいように⾒えて、実はとても正しい。なぜなら、それはこういう意味だからだ。
「あなたが必要とおっしゃるなら、私は喜んで不快に耐えましょう。そもそも、あなたのお
役に⽴つかどうかは別にして、不快に耐えているのですから」と。ましてや、尊敬は、貴顕
を区別するためにある。もし尊敬が、安楽椅⼦に座ることだとしたら、誰でも⼈を尊敬する
ようになり、⾝分の区別などなくなってしまうだろう。不快に耐えるからこそ、うまく区別
が⽣じるのだ。
  • 結構、わかりにくい・・・
    • データベースサイトでもかなり詳しく(意味の取り方の可能性の色々について書いているようだ)

Pensées de Blaise Pascal

  • こういうことかな・・・
自分がだれかをリスペクトするということ(自分が誰かを大事にし、自分をその誰かの下に置くということ)は
自身に不便益があること・自身が不快と感じることを選ぶということだ。
このフレーズはおかしい・無意味なように見えるが、まったくの真実である。
このように言えることから、真実であることはわかる。
「あなたが私からのリスペクトを必要だというのなら、私は自分の不便益・不快感を感じてもよいでしょう。
私が不利益をこうむり、あなたに対してリスペクトを示したからと言って、
それがあなたの利益になるのかどうかはさておき、
実際のところ、私はあなたに対してリスペクトを示し、不便益・不快をこうむっているのですから」と。
そもそもリスペクトするという行為は、複数の人々を(リスペクトする・しないということによって)区別することである。
もし、リスペクトすることが、安楽椅子に座るように快適で不便益がない行為であったなら、
人はすべての人をリスペクトするでしょう(実際には、リスペクトすることは不快で不便益を生むからこそ、人はリスペクトしない相手を持つのである)。
(すべての人をリスペクトするのであれば、リスペクトするという行為は)人々を区別する機能を持たないことになる。
しかし、(リスペクトすることにより)不快・不便益をこうむることから、(ある人はリスペクトし、ある人はリスペクトしないと言うことにより)弁別するということができるようになる。