すっとこすられるような感覚で目が覚めた。 目を閉じていたので、部屋は前よりももっと白さでまぶしく感じられた。 目の前には影が無く、どの物体も角もカーブも目が痛くなるようにはっきりと立ち現れていた。 丁度この時、おふくろの友人たちが入ってきた。 全部で10人が、静かにするすると、目のくらむような光の中に入ってきた。 彼らは腰掛けたが、どの椅子も音を立てなかった。 俺は、ヒトというものを今までに見たことが無かったかのように彼らを見た。 顔や服装の細部をも俺は見逃さなかった。 しかしながら、彼らが話すのを聞かなかったので、彼らが実在していると信じることは難しかった。 ほとんどすべての女は前掛けを付け、その紐が腰でぎゅっと縛ってあるので、お腹が出ているのが目立っていた。 俺は、これまで、年配の女性の腹がどこまで大きくなるか、気にした事が無かった。 男性陣はほぼ全員、とても瘦せていて杖を持っていた。 彼の顔で驚いたのは、瞳が見えず、皺の巣の真ん中に輝きのない光が見えるだけだということだった。
異邦人(カミュ)を自分なりに訳す I-4
その小さな霊安室で、彼は教えてくれた。 彼は、貧民としてホームに入り、そして元気で働けると思ったので、管理人をやらせてくれと頼んだとのことだった。 俺は、つまりこのホームの利用者のおひとりということかと、確認のために訊いた。 彼は違うと答えた。 それまでの彼の話の中で、彼は、「彼らは」とか「そのほかの皆さんは」とかの表現を使っていたし、それより頻度は低かったが、彼より若い人もいるにもかかわらず「お年寄りたち」という表現を使っていたのだが、その話し方に驚いていたのは確かだった。 確かに、同じでないするのが自然だった。 彼は管理人だし、ある意味で、彼はホーム利用者に対して権限を持っていた。 このとき、付き添い(看護師)が入ってきた。 急に夕暮れになっていた。 瞬く間に、天窓の上は夜の闇が濃くなった。 管理人がスイッチをひねると、光が突然にはじけて、俺は目がくらんだ。 彼はダイニングに行って夕食にしましょうと言った。 しかし、俺は腹が減っていなかった。 彼は、じゃあ、カフェオレを一杯、持ってきますと言ってくれた。 カフェオレは大好きだったので、それをお願いし、彼はすぐにお盆をもって戻ってきた。 俺はそれを飲んだ。 タバコが吸いたくなった。 しかし、俺はためらった。おふくろの前でしていいかどうかわからなかったから。 よく考えたが、大した問題ではないと思えた。 そこで俺は管理人に一本、すすめて、一緒に吸った。 少しして、彼は言った、「お母さまのお友達の皆さんもお通夜に来られるのですが。 そういう習慣なのです。 椅子とブラックコーヒーを探してこないとな」 俺は、ランプを一つ消せるかと尋ねた。 白い壁に当たった光で疲れてしまっていた。 彼は、できないと答えた。 作りがそうなっていた。全部かゼロか。 彼にはもう用がなかった。 彼は出て行って、帰ってきて、椅子を並べた。 椅子の一つの上に、コーヒーポットを置き、その周りにカップを重ねた。 そのあと、刈れば、おふくろの反対側に俺の方を向いて座った。 付き添い人も奥の方に居て、こちらに背を向けていた。 彼女が何をしているのかは見えなかった しかし、腕の動きから、編み物をしているのだろうと思った。 気温は肌寒かった、コーヒーで温まった、開いた扉からは夜と花の匂いが入ってきた。 少し眠ったんだと思う。
異邦人(カミュ)を自分なりに訳す I-3
俺は中に入った。 そこはとても明るい部屋で、石灰塗の(白)壁で、ガラス天井だった。
- chauxは石灰。漆喰はplatre。両者の違い:
Plâtre et chaux : pour quelles raisons les combiner ?
その部屋にはいくつか(複数)の椅子といくつか(複数)のX字型の支持台が置かれていた。
そのうちの二つが、中央で、蓋で覆われた棺を支えていた。 ピカピカのネジが、クルミ殻塗料に通した板にわずかにねじ込まれただけで、浮き上がっているのが見えるだけだった。 棺のそばには、白衣に鮮やかなフーラードで頭を包んだアラブ人看護婦が居た。 このとき、管理人が俺の背後から入ってきた。 走ってきたに違いない。 彼はためらいがちに言った、「棺には蓋してありますが、あなたが見られるよう蓋を外さなくてはね」。(puissiez は subjonctif ) 彼が棺に近づいたが、俺はそれを止めた。 彼は言った、「ご覧になりたくないのですか?」 俺は答えた、「はい(みたくない、の意)」 彼は歩みを止めた(何かを「やりかけていたことを中断した」の意味。ここでは棺の蓋を開けるべく棺の方に向かう、という行為を中断した)が、 俺はそんなことを言うべきではなかったと思ってきまづかった。 少しの間私を見つめて、そして「どうしてですか?」と言ったが、非難するわけではなく、理由を知りたいという口調だった。 俺は「わかりません」と言った。 すると、白い口髭をくるくるといじりながら、私を見ずに「承知しました」と言った。(「私を見ずに」言っているので、「理解した」とは言っているものの、共感はしておらず、礼儀的に「わかった」と言っているか・・・。「共感」を示すなら、もう少し言葉を足した話しぶりになりそう) 彼の瞳は水色で美しく、顔は少し赤かった。(この1文が、「わかった」と言った彼について『俺』が好印象を感じた、ということなら、彼は「共感」した、となるのかと思うが、瞳はきれいだが温かくはなく、顔に朱が差したと読み取ったことが、「彼が自分の感情を出さずに我慢している」という印象を指すなら、やはり、礼儀的な「わかった」という発言となる) 彼は俺に椅子をとってくれて、自分自身は私の少し後ろに座った。 見守りの人(看護師)は立ち上がって、出口に向かった。 すると(このとき)、管理人がこう言った、「潰瘍なんですよ」(chancle 皮膚にできた潰瘍状に掘れたもの。梅毒の初期症状(硬性下疳)の名前でもあるので、文脈によっては、この単語により「梅毒」の意味が発生する。梅毒のchancreは陰部にできるが、このあと、顔を包帯で巻いていて、鼻が平坦であるとの説明が続くことから、「鼻かけ(梅毒が進んで鼻軟骨が溶けてしまった状態~看護師本人が性感染した梅毒患者」なのかもしれないし、「先天梅毒による鞍鼻~母親が梅毒で胎児期に感染」なのかもしれない。カミュの生きた時代はペニシリンの発見時期をまたぐので、先天梅毒(生後、抗生剤治療をして、成人した)の可能性もあるが、看護師本人が「鼻かけ」である、というのがもっともらしいか。。。娼婦→梅毒感染→発病・失業→宗教的施設での看護師 ???) 俺は何のことかわからなかったので、看護師の方を見た。 彼女の目の下には包帯があって、頭を一巻きしているのが見えた。 鼻の上では、その包帯は平らになっていた。 顔面で見えるのは、白い包帯だけだった。 彼女が出ていくと、管理人は口を開いた、「お気兼ねなく、どうぞ(leave you alone ... ほうっておく、一人にしておく)」 俺はどう反応したか覚えていないが、彼は私の後ろに立ったままだ。 こんな風に居られて、俺は窮屈に感じた。 部屋は、午後の終わりの美しい光で満ちていた。 二匹のハチが天窓でぶんぶんと音を立てていた(frelon (ハチ)はミツバチではなく、狩人蜂も日本の黄色スズメバチも含めた言葉らしい)。 俺は眠気が襲ってくるのを感じた。 俺は、管理人の方を振り向かずに言った、「ここには長くいるのか?」 即座に彼は答えた、「5年になります」 まるで、私の質問をずっと待っていたかのようだった。 続けて、彼はべらべらとしゃべった。 Melangoのホームの管理人になっておわるよと聞かされたら、さぞびっくりしただろうね。 彼は64歳のパリジャンだった。 これを聞いて、俺は口をはさんだ、「あー、こちらのご出身ではないのですね」 そして、彼が俺を園長のところに連れて行く前に、彼がおふくろのについて話したことを、俺は思い出した。 彼は、おふくろを大急ぎで埋葬しなくてはいけない、なぜなら、平野地域は暑いから、特にこの国では、と言っていた。 これを言うことで、自分がパリから来たこと、そのことが忘れがたいこと、それを俺に伝えたかったんだ。 パリでは死者とともに三・四日、ともに過ごすことが時々あるが、ここでは、そんな時間はないんだ。 霊柩車の後を追いかけないといけないっていうのには慣れないよ。 そのとき、彼の奥さん(この人はいつからいたの!)が言った、「もうやめなよ、そちらの方にお聞かせするような話じゃないよ」 老人(管理人)は赤くなって弁解した。 俺は、それを遮って「いえいえ、全然大丈夫です」と言った。 俺にとって、彼の話は正確で面白かった。
異邦人(カミュ)を自分なりに訳す I-2
ホームは村から2キロのところにある。 俺はそこまでの小道(歩きやすく整地されてはいるが舗装されていない道、地形に合わせてくねくねしがち)を歩いて行った。 俺はすぎにおふくろを見たかった。 しかし、管理人は園長に会わなければいけないと言った。 園長は取り込み中だったので、少し待たされた。 その間ずっと、管理人は話していたが、ついに 園長室に通されて、俺は園長に会った。 その人は小柄な老人でLégion d'honneur勲章をつけていた。 彼は澄んだ目で私を見た。 そして、私の手を握って挨拶をしたが、いつまでも握ったままだったので、どうやって離したらよいのかまったくわからなかった。 彼は書類を確認して言った、「Mme Meursaltは3年前にここに入りました。身寄りはあなただけでしたね」。 彼が何かをとがめていると感じ、俺は説明し始めた。 しかし、彼はそれを遮って言った、「釈明する必要はありません、大丈夫。あなたのお母さまの書類を読みました。あなたは彼女のお世話をすることができなかった(現物でも金銭でも)、彼女には庇護が必要だった、あなたの給料は多くなかった。すべてを考え合わせると、彼女はここにいた方が、幸福だったのです」。 俺は言った、「ありがとうございます、園長先生」。 彼は付け加えた、「ここには友達がいたんですよ、同年代のね。昔のことを彼らと共有できました。あなたは若いから、あなたとでは彼女は退屈したことでしょう」。 その通りだった。 おふくろがうちにいたときには、しゃべらずに俺が動くのを目で追いかけて過ごしていた。 ホームに来た初めの数日、おふくろはしょっちゅう泣いていた。 だけど、それは慣れの問題だ。 何か月後かに、ホームから出したとしたら、おふくろは泣いたことだろう。 いつだって慣れの問題なのだ。 この一年間、ほとんど来なかったのは、まあ、このためだ。 日曜がつぶれるっていうのもあるし、バスに乗りに行って、チケットを買い、2時間の乗るっていう労力は言うまでもない。 園長はまだしゃべっていたが、俺はもうほとんど聞いていなかった。 ついに彼は言った、「お母さまにお会いになりたいでしょうね」。 俺が何も言わずに立ち上がると園長は先に立って扉に向かった。 彼は階段で説明した、「小さな霊安室に移しました。 ほかの皆さんに影響がないようにね。 どなたかがなくなるたびに、みなさん、2・3日間落ち着かないのです。 そうするとお世話をするのが大変になるのです。」 俺たちは中庭を通って行った。 そこにはたくさんの老人がいて、小さなグループに分かれておしゃべりをしていたが、俺たちが通りすぎるときにはしゃべるのをやめた。 そして通り過ぎると、俺たちの後ろで会話が再開された。 ミュートされたりするインコのさえずりとでも表現すればよいだろう(conditionnel)。 小さな建物の扉のところで、園長は私を一人にして立ち去った、「Meursaultさん、おひとりでどうぞ。 御用があったら、私は部屋にいますから。 原則として、埋葬は午前10時に決まっています。 あなたがお亡くなりになった方のお通夜もなされるだろうと思いました。 最後の一言ですが、お母さまは宗教的なご埋葬を望んでいるとお友達に話されていたようでした。 ですので、私の方で必要なことはやっておきました。 そのこと、お伝えしておこうと思いましたので。」 俺は、お礼を述べた。 おふくろは無神論者ではなかったが、生前、宗教について考えたことはなかったが。
異邦人(カミュ)を自分なりに訳す I-1
- 参考にさせていただいたサイト:
今日、おふくろが死んだ。 それとも昨日だったか。 忘れた。 ホームからの電報を受け取った。 「母上死去。埋葬明日。謹白」 これは何も言っていない(何の情報もない)。 昨日のことだったかもしれない(死亡が?埋葬が?)。 老人ホームはマランゴにある。 アルジェから80kmだ。 2時のバスに乗り、夕方(après-midiは夕飯前までの時間)には着くだろう。 そして、(通夜の)寝ずの番ができて、明日の夜に戻れるだろう。 ボスに二日間、休みたいと伝えた。 ボスもこんな理由なので認めないわけにはいかなかった。 けれども不満げだった。 なので「俺のせいじゃないです」と言ってやった。 ボスは何も言わなかった。 それを見て、俺は言わなきゃよかったと思った。 結局のところ、言い訳する必要はなかったのだ。 悔みの言葉を掛けるべきだったのは向こうだった(向こうこそ、悔やみの言葉を掛けるべきところだったのだから)。 でも、明後日、服喪姿の俺を見たら、きっとお悔やみを言うだろう。 今は、おふくろが死んでなんかいないような気がちょっとする。 埋葬の後には、逆に、しかるべき事柄となり、万事、より正式な風采を帯びることだろう。 俺は2時のバスに乗った(俺は2時のバスに乗ることにした・・・のほうがよいか?)。 とても暑い日だった(その日が暑かった、のか、乗ったバスが暑かった、のか、どちらになるかは文脈次第か・・・その日が暑かったと取る場面だろう・・・)。 俺は、いつも通り、セレステの食堂で食べた。 (その店の)皆が俺のために悲しんでくれて セレステは「母親ってのは、一人だけだ(から)」と言った。 俺が店を出るとき、彼らはドアまで来てくれた。 ちょっとうっかりしていた。 黒ネクタイと腕章を借りに、エマニュエルのところに行かなくてはいけなかった。 彼は数か月前におじさんを亡くしたんだ。 俺は(バスに)乗り遅れないように走った。 こんな風に忙しなかったり、走ったりしたせいに違いない。 でこぼこ道で車がゆれたり、ガソリンのにおいがしたり、道路と空がまぶしかったこともあっただろう。 そのせいで俺はうとうとした。 移動中、ほとんどずっと眠っていた。 目が覚めた時、軍人にべったりともたれかかっていた。 その軍人はにやっとして、遠くから来たのかと尋ねた。 俺は、それ以上話さなくて済むように「そうです」と答えた。