異邦人(カミュ)を自分なりに訳す I-2

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ホームは村から2キロのところにある。
俺はそこまでの小道(歩きやすく整地されてはいるが舗装されていない道、地形に合わせてくねくねしがち)を歩いて行った。
俺はすぎにおふくろを見たかった。
しかし、管理人は園長に会わなければいけないと言った。
園長は取り込み中だったので、少し待たされた。
その間ずっと、管理人は話していたが、ついに
園長室に通されて、俺は園長に会った。
その人は小柄な老人でLégion d'honneur勲章をつけていた。
彼は澄んだ目で私を見た。
そして、私の手を握って挨拶をしたが、いつまでも握ったままだったので、どうやって離したらよいのかまったくわからなかった。
彼は書類を確認して言った、「Mme Meursaltは3年前にここに入りました。身寄りはあなただけでしたね」。
彼が何かをとがめていると感じ、俺は説明し始めた。
しかし、彼はそれを遮って言った、「釈明する必要はありません、大丈夫。あなたのお母さまの書類を読みました。あなたは彼女のお世話をすることができなかった(現物でも金銭でも)、彼女には庇護が必要だった、あなたの給料は多くなかった。すべてを考え合わせると、彼女はここにいた方が、幸福だったのです」。
俺は言った、「ありがとうございます、園長先生」。
彼は付け加えた、「ここには友達がいたんですよ、同年代のね。昔のことを彼らと共有できました。あなたは若いから、あなたとでは彼女は退屈したことでしょう」。
その通りだった。
おふくろがうちにいたときには、しゃべらずに俺が動くのを目で追いかけて過ごしていた。
ホームに来た初めの数日、おふくろはしょっちゅう泣いていた。
だけど、それは慣れの問題だ。
何か月後かに、ホームから出したとしたら、おふくろは泣いたことだろう。
いつだって慣れの問題なのだ。
この一年間、ほとんど来なかったのは、まあ、このためだ。
日曜がつぶれるっていうのもあるし、バスに乗りに行って、チケットを買い、2時間の乗るっていう労力は言うまでもない。
園長はまだしゃべっていたが、俺はもうほとんど聞いていなかった。
ついに彼は言った、「お母さまにお会いになりたいでしょうね」。
俺が何も言わずに立ち上がると園長は先に立って扉に向かった。
彼は階段で説明した、「小さな霊安室に移しました。
ほかの皆さんに影響がないようにね。
どなたかがなくなるたびに、みなさん、2・3日間落ち着かないのです。
そうするとお世話をするのが大変になるのです。」
俺たちは中庭を通って行った。
そこにはたくさんの老人がいて、小さなグループに分かれておしゃべりをしていたが、俺たちが通りすぎるときにはしゃべるのをやめた。
そして通り過ぎると、俺たちの後ろで会話が再開された。
ミュートされたりするインコのさえずりとでも表現すればよいだろう(conditionnel)。
小さな建物の扉のところで、園長は私を一人にして立ち去った、「Meursaultさん、おひとりでどうぞ。
御用があったら、私は部屋にいますから。
原則として、埋葬は午前10時に決まっています。
あなたがお亡くなりになった方のお通夜もなされるだろうと思いました。
最後の一言ですが、お母さまは宗教的なご埋葬を望んでいるとお友達に話されていたようでした。
ですので、私の方で必要なことはやっておきました。
そのこと、お伝えしておこうと思いましたので。」
俺は、お礼を述べた。
おふくろは無神論者ではなかったが、生前、宗教について考えたことはなかったが。